地元情報

神田岩本町と岩本町三丁目。このエリアには「あっ!」と驚く歴史があるんです。「一見、なんでも無いようなあの場所は…」「実は…」な、ちょっと自慢したくなっちゃうヒストリーをご紹介します。

 

ヒストリー1

岩本町交差点のあの三角地帯は、とてもオシャレな広場でした。
古代ローマ風のガゼボ(西洋風あずまや)が建ち、周囲は遊歩道になっていて。その名を「泉廣場(いずみひろば)」「和泉橋廣場公園」(いずみばしひろばこうえん)と言いました。今ではその名を「馬の水飲み広場」に替え、都心では珍しい緑の草地になって、町会のラジオ体操の会場になっています。

岩本町三丁目町会・岩三史委員会編『岩三史』2ページより引用した、昭和15年(1940年)頃の岩本町交差点の写真です。現在「馬の水飲み広場」と呼ばれている三角地帯の写真です。三角地帯の中心に古代ローマ風のガゼボ(gazeb 西洋風あずまや)が建っています。当時この場所は「泉廣場(いずみひろば)」「和泉橋廣場公園」(いずみばしひろば)に呼ばれていました。この写真は岡田邦男様からご提供いただきました。
昭和15年(1940年)頃の岩本町交差点です。岡田邦男様提供。

 

ヒストリー2

神田川南岸の柳原通り(やなぎはらどおり)。妙に幅の広い一方通行の道路。なぜこんなに広いのでしょう。実は、この柳原通り、鉄道馬車や路面電車が走った大通りだったんです。
その歴史は江戸時代から。通りの左右に古着屋(高級品あり)がびっしり並び、休憩する甘味処もあって、明治になると洋服屋が現れ、当時の観光ガイドに必ず紹介される全国的に有名なファッション・ストリートだったんです。

岩本町三丁目町会・岩三史委員会編『岩三史』11ページより引用した、大正5年(1916年)の柳原通りの地図です。地図にある通り、当時の柳原通りには路面電車が走っていました。この地図は日本帝國陸地測量部が修正製版した「一万分の一地形図 日本橋」の一部です。また、この当時は昭和通りはありません。神田川に架けられた和泉橋は水天宮通りの一部で、その水天宮通りと柳原通りとの交差点には路面電車の停車場がありました。これが元祖「岩本町駅」です。
大正5年(1916年)の柳原通りです。路面電車が走っていました。

 

ほかにもまだまだヒストリーあります。

靖国通りの大和橋(やまとばし)交差点。どうして名前が「橋」なんでしょう。見渡しても川なんて無いのに‥‥。そんなヒストリー満載の歴史ブック『岩三史』を岩本町三丁目町会は作っちゃいました。参考文献の書き方は歴史学の正統に即した本格派。それでいて楽しく、「岩三」ウォーキングマップも付いていて。読めばあなたも「岩三」通。千代田区立図書館国立国会図書館に置いてあります。

岩本町三丁目町会・岩三史委員会編『岩三史』の表紙です。『岩三史』はサブタイトル「千代田区神田岩本町・岩本町三丁目の歴史、風景、未来」とあるように、千代田区史、地域史、町会史でありながらその歴史を綴るだけでなく、交通史、産業史、景観史、文化史という視点を示しながら、楽しく、未来志向で、地域振興のアイデアがいっぱいなヒストリー集なのです。
「岩三」地元ヒストリーがいっぱい載っています。語るなら必読。

神田岩本町ならびに岩本町三丁目(東京都千代田区)にお住まいお勤めのみなさん、地元町会「岩本町三丁目町会」の公式ホームページです。